ブログランキングに参加中。
よろしかったらポチッとお願いします!

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

人類の99%が支配層の奴隷、家畜だという真実を知り、その状況から解放されたいと願うあなたへ

 人類の99%が支配層の奴隷、家畜だという真実を知り、その状況から解放されたいと願うあなたへ。

 もしあなたが、ベジタリアンでなければ、その願いは捨ててください。虫がいいにも程があります。ベジでないあなたはその願いの矛盾に気づくべきです。

 養豚、養牛、養殖、さらには屠殺という自らの手を汚さずにしれッとそれらを食しているベジでないあなたは、それらを容認しているということですよ?
 つまり、あなたは支配できる側は弱い者を家畜化してよいと認めているのです。そうであれば、支配層の家畜であるあなたは弱い者であるのだから、家畜あるいは奴隷とされても文句は云えません。認めているのですから!

 人間と豚では話しが違う? ええ、そうかも知れません。でも支配者たちもいうでしょう。「爬虫類と人間では話しが違う」とね。


私は奴隷制を拒否します。

 もしあなたが本当に解放されたいのなら、今ベジになるべきです。なに、何の問題もありません。かえって気も心も身体も楽になりますから。


 ここ数日、大地のイルカ漁に対するケネディ大使のツィーターが炎上しているそうですが、このイルカ漁を容認する人は己は支配層に同じ事をされても文句は云わないと公言しているのと同じです。理由は上に同じ。

 どこかに書いたと思いますが、私はシーシェパード容認派です。彼らがお金目的で、偽善だという指摘もありますが、それでも彼らは身体を張ってクジラたちを日本の捕鯨船から守ろうとしてくれています。それだけで十分です。以前、日本の捕鯨船が親子のクジラを引き上げている写真(気の弱い人は見ないように)を見たとき、胸が張り裂けそうでした。なんでこんなことができるのか.....。
 さらに、角(つの)目的で殺され切り刻まれて死んでいた母サイの横で寄り添う子のサイの写真(気の弱い人は見ないように)がありました。正直いうと、この子サイを思うと涙が出てきました。

 シーシェパードの行為を度が過ぎると非難するメディアばかりですが、いやいや、捕鯨のクジラに対する行為の方がよほど度が過ぎるでしょう。銛を打ち込むんですよ? クジラに武器を使う力があれば逆に殺されても仕方ない行為ですよね?
 幸せに暮らしていた親子のクジラが、ある日突然母クジラを失う光景を想像してみてください。捕鯨船の乗組員がして来た行為に対して、シーシェパードにされた事など取るに足りません。生かしてもらえただけでもありがたく思ってほしいくらいです。

 さて、前者は肉(調査という名文で存続を企む天下り組織に過ぎない)、後者はツノですが、単に欲望の所業に過ぎません。 

 そう、ベジでないあなたは、彼らのやっていることを容認しているのだということに気づいてください。サイを守る行為は賞賛されるのに、なぜクジラやイルカを守る行為を非難するのですか? 

 答えは簡単です。あなたがプロパガンダに洗脳されているからです。もし今これを読んで洗脳が解けたなら、今日からでもベジになってみてください。
 すべての観え方が変わってくるはずです。


 1/22 追記:「植物は食べてもよく、動物はダメというのが理解できない。どちらも命を頂いている」という爬虫類思考の反論マニュアルに沿ったコメントは頂いても時間の無駄ですのでお控えください。
その手の議論はし尽くしており、私の中で答えは出ています。もしそのような反論が正論だと受け止めていれば、わたしだって肉を食べているでしょう。それが正論でないと魂が知っているからあくまで食べないのです。私は理屈で食べないと云っているのではありません。それに、この記事が理解できない人種とはつきあう気はないのです。大体、この記事が問うている問題から外れています。
 参考にどうぞ。感謝すれば食べてもいい…? 植物と動物の命 (感情や苦痛) が同等か。

コメントの投稿

非公開コメント

No title

分かるような気もしますが、動物を食べるのはダメで、植物を食べるのはOKとする理由がわかりません。どっちも生き物を殺して食べることには違いがないと思うのですが。

ゆずりんさん

 肉食を辞められない人がその正当性を訴えるためのこの手の反論はいやという程聞いてきました。今さら議論するつもりはありません。
 
そういうお考えであれば、そのように生きてゆかれればよろしいと思います。彼らがかわいそうだと思わないのであれば何を言っても無駄でしょう。

 問題は受け入れるか入れないかだけです。

一応、理由は書いときますね。以前当ブログで書いていますが、植物には魂が入っていないからOKとされています。生きているからといって全てに魂が入っている訳ではありません。例えば精子然りです。

 魂は進化する為に転生してきます。魂が入っている生物を殺す事は、「進化を繰り返し神の元へ帰る」という創造主の目的を邪魔し、さらに創造主はその進化を人間の手で中断させる事(殺して)を悲しんでいるということです。

 これ以上の説明は不要でしょう。

通りがかりで失礼します。個人的には、イルカさんや鯨さんを食べるより、友達になりたい派ですが。

ただ、植物には魂がないから、食べても問題ない! というのは、都合良すぎかと。聖書で許されているから牛や豚はOKとか、全部利用するからOK、後で供養するからOKみたいな話と変わらないんじゃないかなあ?私は植物さんたちにも魂があると感じますよ。特に、樹木さんたちにはどれだけ癒やされたことか?

ベジタリアンだって他の命をいただいているという意味では同じ。サンゲイジングでもして、自ら光合成できるようになるまでは、自分のことを棚にあげないで、「やっぱり、それは違うんじゃないの!?感覚的に!」でいいんじゃないかな?

ちなみにシーシェパードは、感覚的に大嫌いです、私は。簡単に仲間を切っちゃうしね。あの人たちの存在のおかげで、頑なに捕鯨を守ろうとしてしまう日本人が増えているんじゃないかな?

駄文、失礼しました。

ぶさん

その手の反論はもう卒業してます。 おつかれさまです。

 そう思うのならどうぞそのように生きてください。あなたの将来は私には何の関係もありません。

 それ以前に、記事の云わんとしているところが読み取れないようですね。 あなたもいつか慈悲が理解できるときが来るでしょう。

No title

私たちは奴隷として生まれ奴隷として死んでいきます。
何世代も。
普段の生活をみていれば家畜と大差はありません。

動物でも植物でも命あるものが虐げられる姿は心が痛みますが、
奴隷は自分のことで精一杯なので、そんな仲間たちの事はすぐに忘れて日常生活に戻ります。

奴隷は奴隷であることをやめられません。
お金を使うことがすでに奴隷社会の一員ということで
奴隷でなくなるイコール社会との接点を絶つということですから。

奴隷であることが楽なのです。
奴隷なりの小さな幸せにすがり生きていくのです。
私達のDNAはすっかり奴隷仕様になっています。

人間の本質(DNA)から変化がおきない限り奴隷からの解放は無理です。
悲しいですが・・・

わからない人はわかりたくない人

植物は食べてあげることで種を落とし、命をつないでいくことができます。荒地を耕し、種をまき、植物を育て、食し、種を採り、翌年また種をまいてあげる、という風に人間がうまく植物の命の循環に関わることが出来ます。そこには調和が有り、矛盾や、不合理、不都合がありません。一方で畜産・漁業は荒れ地や海の生態系の破壊を生み、永続性もなく、付随する問題や苦しみは数えきれません(口蹄疫・狂牛病・屠殺業etc...)。食肉については負の部分が巧妙にメディアで隠されているため、自身の残虐性や非情さを認めたくない人々は、珍妙な理屈をこねたり、都合のいい学説を拠所にしたり、開き直ったりすることが許されています。私はいずれ、因果として、人間の身体の健康状態などに白黒がはっきりと現れてくるのではないかと思っています。

すてきな生活ですね。
けど、たまに鳥貰って解体するし、肉も好きなので、わたしにはそんな素敵な生活無理です(^-^;
ケネディさんの批判は凄いですね。
かつて、鯨寮して油とってた国なので仕方ないかもしれませんが…
お父様も、無駄にインドシナ戦争広げベトナム戦争参入して、軍隊見殺ししてますし、まさしく支配層の代表一族ですね。
そもそも、日本の縄文時代もそうですが、人自体、有史以前は基本狩猟民族ですが
そのあたりには触れない点も素晴らしいですね。
立派なプロパガンダだと関心しました!

No title

たらの芽さんは、ベジタリアンなんですね。たらの芽さんの意見に賛成です。それが、宮沢賢治が言っていたことです。肉を食べているのなら、もしわたしたちを食べるものが現れたら、喜んでその肉を与えること、ということです。
これは、賛成、反対というものではなく、その人の感性が、肉食を受け付けるか、受け付けないか、ということだと思います。肉食に抵抗はするけど、今までおいしく食べてきてしまって、豚や牛は食べなくなったけれど、鶏だけはまだ食べてしまい、将来的には、鶏も食べなくなるというのが理想、という状態が今のわたしです。
狩猟していた時代は、必要な分だけ、自分で解体して食べていた、それは肉食動物も同じ。現代のように、自分の手を汚さずに、スーパーにきれいに並べられているものを買ってきて、これはおいしい、これはまずい、などと言っていることが、考えなければいけないことだと思います。

No title

はじめまして。

私もブログ主様の意見に賛成です。
人類が異星人に家畜扱いされているとして、
他の動物を家畜として虐待している人類は、
それに対して文句を言えた筋合いではありません。

そして、植物は動物と違って神経系がありませんから、
化学的には痛みも恐怖も無いはずです。
なので、こちらを食物として利用する方が、
動物を食物として利用するよりもはるかに好ましいはずです。

人間の自然の感情としても、植物を引きちぎることには抵抗がありませんが、
生きている動物を引きちぎることは出来ません。

シーシェパードについては、彼らは基本的にレイシストなので、
日本にのみ文句を言っているのが気に入りませんし、
目的が正しくても、手段が正しくないと思います。
ユダヤ人によれば、目的は手段を正当化するとのことですが、
それには同意できません。
おそらく彼らは、牛や豚を食べてる偽善者でしょう。

しかし、私もベジタリアンですし、
出来れば、日本も捕鯨はやめた方が良いとは思います。

Korvaさん

 スピーカー作られてるんですね。私は若い頃、制作に挑戦しましたが挫折しました(笑

 中国のDAC貸し出しで試聴した感想をオーディオカテゴリーのどこかに書いてますんでまた観てやってください。

 これからちょくちょくブログ寄せてもらいますね。

 それでは!

考えさせられました

植物は生きてはいるものの岩や空気や海と同じような印象を受けます。感情や霊性(定義が難しい言葉で恐縮です)とはあまり関係のないイメージです。一方で牛やイルカは見た目は人間とは違いますが意志が明確にありますし霊性の観点からは人間の仲間のように感じます。

難しいのは人間は人間ですら簡単に殺してしまいます。例えば戦争に巻き込まれる被支配者の民間人のように。そんな殺人も解決できない人間に肉食をやめることができるのかということです。

より大きな議論に繋がるテーマかもしれません。仮にですが輪廻転生やカルマというものがあるとしたら、動物と植物で運用のされ方がどう違うかといった議論になるのかもしれません。じゃあ虫はどうなのかとか。

一般化が困難な話題になりそうですが。

ひろこばさん

プロフィール

タラの芽団地

Author:タラの芽団地
タオイスト
ベジタリアン
合氣道々場主

猫は左が紫苑、右が八雲。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム