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マトリックスを無視する。

 昨日、犯罪ニュースを見ていた相方がカルマの法則が法則で無くなったと主張する私にちょっと皮肉っぽく云って来ました。参考になるかもしれないので、それを元に少し書いてみようと思います。ちなみにここから先はあくまでも管理人の思想なので、理解したくない人はスルーしてください。
 
「カルマが無くなったのならやりたい放題やね〜」

「まぁそうだな。そのかわり今後はそれぞれの波動に合った世界へ行く事になる。」

「はぁ? 意味が分からん」

「今までは十把一絡げで波動の高い者も低い者も関係なくここへ転生させられた。でもカルマの主(えんま大王?)が排除されたので今後はそれぞれがそれぞれの周波数に合った次元へ行く事になる。それこそが本当の神の法則だから(それ故かは知らないですが、次元はかなり細かいようですな)。それはカルマとは違う(闇が作ったカルマの法則が真の法則の邪魔をしていた訳です)。」

「.......私にはわからんわ」


 とまぁこんな会話でした。相方自身はカルマは有ってほしくないようですが、そこに私情が入り込み、真理から目を逸らそうとする訳です。

 補足しておきますが、カルマの法則はそれが有るとして観念づけている人には依然として働くでしょう。神の法則はその人の自由意志を尊重するからです。それはその人が望む事だからです。
 従って、悪行をした者にカルマの遂行を願う者も適応されると言う事です。カルマを信じたい訳ですからね?

 さて、私情が入り込むとはどういうことでしょうか? 自身を瞑想してみてください。なぜ悪人にカルマの法則の適応を願いますか? それは悪行に対する憎しみですか? 或は(不正で儲けた金で)好き勝手している事への嫉妬ですか? それともいまの境遇を強いられたことへの恨みですか?

 悪人はその罪を問われるでしょう。それがこの3次元の世界だからです。しかしそこに上記のような下衆な感情は必要有りません。そんなものは棄ててしまいなさい。百歩譲って、カルマが有るとするなら、物理的な事象より上記のような感情を抱く事こそがカルマとなるでしょう(この辺りはバガヴァット・ギータによるアルジュナへのクリシュナの説法に重なりますね)。なぜならそういう意識が私たちの未来を創造するからです。
 例えば相方が持っている本に面白い記述があります。『死後世界地図』というものです。この中で、死後、霊人の救済の仕事を選んだフランチェッオという男が、地獄の低級霊を救った時、空間から以下のような声が聞こえて来たということです。

『あなたが救った者たちは、自分でつくった罠に捕らわれていたのである。悔いと改めと償いの思いが彼らの心に生じ、救援者たちが救いに向かうまで、彼ら自身でつくった牢獄から解放されることがなかったのである。』


 そう、我々は自分で作った(正確には闇に洗脳された)罠(観念)に捕らわれているのです。地獄の概念はさておき、この声は真理であると思えます。


 断言しましょう。死後の世界は確実に存在します。それは今から10年程前、他界した友人が突然意識の中に現れ、彼に案内されるがまま私自らが赴いています。いつか時間があれば書きましょう。そこで見たもの聞いたもの、全てが教訓でした。
 
 さて、そろそろ目を覚まし、ネオとなってこの闇が作り出した仮想現実「マトリックス」から抜け出しましょう。ネオの能力の説明はこうです。

マトリックスの情報を分解し、自分の望むとおりに書き換える事で自分の意識が届く範囲に対してマトリックスを操作する事であり、エージェントがマトリックスを支配できるなら、自分はマトリックスを無視できる事である。



 罠に気づけば、マトリックスを無視できます。私たちは自由であるべきなのです。



「目覚めよ!パラマハンサ・ヨガナンダの人生」映画予告編



 
 ゆずりんさんのtwitter情報から。

そのステージに立たなければ観えないものがある

 久しぶりに訪れたHPで、今回ふと目に止まったページを開いてみました。なぜそれが目に留まったかというと、私を非難する者がバーチの狂信者で、その囚われから私や他の者を非難していたからです。そこでこのHPの人はどう考えているのだろう....? と覗いてみました。
 すると驚く事に、現在の私の気づきとほぼ同じ概念が書かれていました。

 以下に転載させて頂きます(書かれているすべてが重要なのですが、赤字は最近の私の記事に見合った部分として特に変換させて頂きました)。

シルバーバーチから神との対話へ (第68話)

 やっとトンネルをひとつ抜け出ました。なかなか解らなかったのですがやっと私の魂の言いたいことが理解できました。今、涙を流しながらこれを書いています。知らない間にどうやら少し後戻りをしてしまっていたようです。とりあえず書き始めたのですが、まだ整理ができていません。いきあたりばったりで書くことにします。

 最近シルバーバーチの霊訓の関係の書物を何冊か読みました。シルバーバーチの霊訓は非常にわかりやすくあちらの世界のことを書いています。今の私にとってほとんどのものがすんなり読めてしまって何か懐かしさまで感じてしまうくらいだったのですが、それと同時に今のスピリチュアルな人たちの中でまるでシルバーバーチ教にでも入っているのではないかと思える人たちのことが疑問にも思えたのです。

 別にシルバーバーチのことを悪く言ったり攻撃したりするつもりはないのですが、しかしシルバーバーチ教の信者と私とは視点が違うと言うことを改めて認識したのです。それと同時に「神との対話」に対する批判のわけもわかりました。簡単に言ってしまうとシルバーバーチは結果的に人間によってすでに宗教化されてしまっていて、それを信望するあまり「神との対話」をほとんど理解できなくなってしまっていると言うことです。

 わかりやすく説明すると、シルバーバーチは地球の霊界の視点にたってものを見ています。そして神との対話はそれよりももっと広い視点から見た物を説明しているのです。もちろんそれは視点の違いであってシルバーバーチの言っていることが正しくないと言うのではありません。かなり信用できるし、じっさいいろいろと参考になることが書かれています。ただそこに書かれていることは私たちのレベルを幼稚園としたときに、小学校か中学くらいのことを言っているのです。それに比べて「神との対話」は大学レベルの視点から見たことを幼稚園レベルでも何とか解るかも知れないという言い方で説明しているのです。

 じっさい「神との対話」の中で地球の霊界の問題点を指摘しているのではないかと思える部分もあるのですが、それのエッセンスの最も重要な部分をいえば、私たちは自由であるという事です。愛は自由であるといっています。それはカルマと言うものに対する考え方に現れてきます。いままでも何回か書いてはいるのですが地球の霊界はカルマという制度を作り出して、それを因果率に上乗せして人間に課していました。その結果、過ちを冒した人間はその償いの為に後の現世での人生で否定的なカルマを解消しなければならなかったのです。これは「神様からの贈り物(第32話)」で私が学んだことなのです。

 宇宙もそしてその上の世界も全てある種の法則により支配されています。それは因果律ということが多いのですが、原因があるから結果がある、そしてその結果がまた原因になるということです。その絶対的な法則はどうしても覆すことは出来ません。上のレベルから見ると全てのことが林檎が気から落ちるのと同じように当然の結果として起きるのです。しかしカルマの制度はその因果律とは別に意図的に作られていたのです。これはどうやら地球独特の制度のようです。地球以外からのメッセージにはその様なものは全く入っていません。(もちろんこの制度は霊魂の成長の為に良かれと思って作られた制度でそれなりに効果を挙げたのですが。)

 さてシルバーバーチの視点はこの地球の霊界の視点に立って書かれているのです。それはつい最近までの地球(霊界)ではは全く正しいことでした。ところがこのカルマの制度は成長に時間が掛かると言うことで廃止になりました。もともとカルマと言う制度が善意ではあっても魂を制限するものであったのですから、このような制度は調和に向かって進歩しているのであるのならば当然いつかはなくなるべきものなのです。まあ地球の霊界も進歩しているということです。

 シルバーバーチの霊訓がされたのが20世紀の前半であったことを考えるとその点でごく一部なのですが実情に合わなくなってきているということなのです。これは非常に微妙なことなのですが私たちの生き方にも影響を与えます。そしてもっと大きな影響を与えるのは私たちが死んであの世に行った後のことです。私たちは今までより自由になったのです。

 但し、とても重要なことなのですが、もし貴方が自らの魂の成長を願うのであるなら、シルバーバーチは良い先生になります。「神との対話」より身近な霊的な生き方について説明されていますから大いに参考になります。言ってみれば私たちが次のステップに行く為の参考書のようなものです。もし世の中の構造の根本を知りたかったら「神との対話」が良いです。この視点が最も高いところから書かれていると思います。ただ正直言って「神との対話」をある程度以上に理解することはかなり大変かもしれません。とくにシルバーバーチが最高だと思い込んでいる人たちには、余分な障害が出来てしまっています。それははたから見るとおおくの宗教と同じ道をすでに進み始めてしまっているのですから。シルバーバーチだけ読んでいれば良いとか、それ以上のものは無いと考えていることが宗教化している証拠なのです。

 さて、もう少し話を続けましょう。カルマというものは運命と言うもので人間(魂)を制限する制度でもあるのですが、それは結果的に地球の健全な成長を阻害してしまったのです。それは原子爆弾という他の世界にも悪影響を及ぼすようなものをコントロールすることも出来なかったと言うことなのです。そのため何度かの原子爆弾の爆発によって地球(の宇宙)以外の宇宙にも悪影響を及ぼすことに成ってしまいました。その為多くの地球以外から様々な干渉や援助が必要になったのです。最近カルマの制度が廃止になったのは紛れも無く地球以外の宇宙からの援助によりなし得たものなのです。まあ行ってみれば、地球の霊界自体が因果律によって地球以外の干渉と援助を引き起こしたのですから、これは受け入れざるを得ないでしょう。地球に生活する人間(霊魂)にとってはありがたいことです。

 ついでに書くと、地球の霊界側から見た人は「神との対話」のことを、宇宙の浮遊霊が書いたと批判しています。地球霊界以外の干渉であるという意味だけで捉えるとその様に言いたくなるのでしょう、いろいろな部分で地球霊界の常識を超えたものが書かれているのですから。でもその指摘は間違いだとおもいます。シルバーバーチよりもはるかに広い視点に立って書かれているのですから、それこそ大霊(創造主)が書いたのだと考えるのが私にとっては自然なことなのです。

 「神との対話」を批判する人は、霊の成長レベル(周波数)が違うとコンタクトできないはずであるから、人間が最も高いレベルの大霊(創造主)とコンタクトが取れるはずが無いと考えています。それは大霊(創造主)にとって失礼な考え方です。神は最高のレベル以上の霊なのですから、それこそ我々にコンタクトとろうと思ってそれが出来ないわけはないのです。

 今、ガイアアセンションという壮大なプログラムが進行しつつあります。簡単に言ってしまうと、今までのままの地球のままでは、外の宇宙にも迷惑をかけてしまうので、地球自体が霊的にワンランクステップアップしようという事です。そのために地球以外の生命(意識体)から様々な援助を受けています。もちろんあくまでも地球のことなのですから、最終的な選択、決定権は地球にいる霊魂にあるのですが、地球より遥かに進んだ宇宙からの援助ですからそれを拒否することは無いでしょう。もしそれを拒否するしたら、あまりにもレベルが低いことになってしまいます。なにしろ彼らも今地球に住んでいないと言う事だけの違いで同じ生命(いのち)なのですから。

 もともと霊界も現世の成長に合わせて成長していくものなので、現世の人間のレベルの低さを考えると、地球の霊界のレベルについてもちょっと不安もあったりしますが、まあそれは取り越し苦労でしょう。

(2003/03/22)



 冒頭に書かれた『やっとトンネルをひとつ抜け出ました。なかなか解らなかったのですがやっと私の魂の言いたいことが理解できました。今、涙を流しながらこれを書いています。』という文章が、この悟りが如何に大きなものであったかを物語っています。そしてそれは、他ならぬ私が誰よりも理解しています。この方がいみじくも『それ以上のものは無いと考えていることが宗教化している』と書かれているように、この概念に到達するには、ヨガの行法哲学「断・捨・離」を行わなければ無理だからです。これがつまり、過去に学んだ教義を一旦捨てましょうということなのです。

 日付からすると、私はこの方より10年遅れての気づきとなりましたが、おそらく、10年前にこれを読んでいたとしても、琴線に触れる事はなかったでしょう。やはり、霊性とはそのステージに立たなければ理解できないものだと、この日記を読んであらためて痛感しました。


 

よくある怖い話し

 タイトル内容の前に、カルマが観念だということについて、ちょっと分かりやすい言い方を思いついたので補足しておきますね。

 ヨガの基本的な概念は「意思の力が世界を具現化する」ですよね。ヨギであるシルディ及びサティア・サイババ、ババジ、スリ・ユクテクスワ、ラヒリ・マハサヤ、ヨガナンダ、ラーマ・クリシュナ、ラマナ・マハリシ等(ヒンドゥー系の聖者はほとんどヨギです)の聖者たち、日本では中村天風師をご存知の方は、私も含めこの概念はもはや空気のようなものでしょう。

 ですから、意思の力がビジョンを物質化してしまうことは、現実的な事として捉えられていると思います。そして特に高次元になればなるほどそれは瞬時に起こります。
同じように、意識下にカルマの存在を含有することで、物質化ならぬ具現化してしまうということです。それが意思の力であり、宇宙の法則なのです。

 簡単に言えば、ただそれだけの事。ちなみに私が示したヴァサナを溶かす瞑想行法はサティア・サイババの「カリユガを生きる」の中に説かれています(いまタイトルを書いてさらに認識したのですが、やはりカリユガ時代に対応した行なのでしょう...)。

 瞑想によってカルマを減らし、このように楽になる方も居られるので、この行法はぜひお勧めしたいと思います(この行は体験を得ているので真実として概念から消す事は有りません)。


 ところで、上記の記事の関係で、最近、随分とゾッとする思いをしました。それは、とある者がいきなり個人の人格を侮辱し始めたからです。またその理由がなんとも幼く、己と主張が違うという理由からです。善人を装っていただけに驚きました。

 ただ少し前から兆候は有りました。とあるブログに目を疑うような人格否定のコメントを数回に渡り入れていましたので....(その管理人が消す前に私は見ていました)。その醜悪な言葉と執拗さから、この人ヤバイな...と思い始めていたのも事実です。


 過去に当の本人が「下品なことはしない」と書かれていたのでそれを信用し、やんわりご忠告差し上げたのですが、強烈な光のエネルギーに本性を隠せなくなったのでしょうか。忠告の後もさらに別の方の人格を攻撃し始めました。しかも本名を名指しでです。これはもう完全にアウトです。

 若いなら「これこれ坊やたち、亀を虐めてはいけないよ」と笑って済ませられるのですが、それがもう70を過ぎたいい歳をした男なんです(痛

 さすがに呆れ返り、この人にアセンションはないな...とサイトを閉じました。こういう、個人の人格を攻撃する文章は非常に低レベルな波動を出していますので、もう二度と訪れる事は無いとして、ブックマークから削除したのが11日(※)でしたので、以後はその者が何を書いているかは知りませんが、別の情報サイトで得た情報によると、相変わらずそのような愚かなマネを続けているようです。
 常識で考えても、今までその者の悪口を一切書いていない人物に対して意見が違うだけで罵倒する事自体、その者の人格を疑わざるを得ないでしょう。


 じつに今回のような行動は、通り魔と同じ意識状態です。己のやっている事が見えなくなっており、盲目に通りに出て歩いている人をナイフで次々と刺す。暴力行為が文章だったか肉体だったかだけの違いです。ですから本当に怖い存在です。みなさん自分に当てはめて想像してみてください。近所で善人と思っていた人がいきなり自分の人格を攻撃し始めたらどう想いますか? ゾッとしますよね?(まぁ似たような人はどこにでもいますが、一般的には愛が足りていないということらしいです....)。でもやった本人はこういう事に気づいていないのです。やられた側がどんな想いをするか分かっていない。分かる人は最初からしないものです。
 つまり客観的に物事を見る事が出来ないまま歳を取られたのです。これではカルマの法則で何度も転生して来た意味がありません。何とも残念な話です。

 :この人物は、持論のカルマ論で私の概念を否定しながら、私を攻撃する理由にこれもカルマだと言って自身の心の闇を正当化しています。皮肉にも私の説明の一部(カルマの法則を理由にして己の恨みや妬みを正当化している)を否定しながら行動で肯定するという落語みたいなオチを見せてくれています。

 慈悲からその者が特定できないように書いてあげていますが、どうしてもその落語を読みたい!という人はお申し出ください(ああ、でもそしたらみんなに分かってしまうか........笑)。




 
 

水瓶座という時代の正しい修行

 本日の日本や世界や宇宙の動向さんに興味深い記事が載りました。
1時間以上ある動画で、その概略を訳してくれています。そして冒頭、このように始まります。

(概要)
人々の意識は宗教の教義や科学の定説という罠にかかっています。宗教も科学も同じ集団が支配しています。
彼らは過去数百年の間に地球の歴史を書き換え、我々に偽の年代記を教え込みました。名義?を管理するCoven(13人の魔女?)の法律を削除し年代記を延長しました。
バビロン時代に何が起きたのか。。。それは謎でもなんでもありません。彼らは、象形文字の呼び名を変え、言葉の概念を変えてしまったのです。さらに、我々に宗教を教えることで、天国、神、その他の概念を変え、真実を我々から隠してしまいました。



 書かれている全てを評価する訳ではありませんが、まさにこの冒頭に伝えられていることこそ、私がカルマの概念教義のリセットで記事にして訴えたその根拠なのです。カルマ論でコブラを引用したのは単に当ブログ読者なら知っているであろう情報から引用した方が分かりやすいと判断したにすぎません。

 要は、もう過去に学んだ教義、概念は一旦捨て去るべきこと(観念という衣をはぎ取る事)が水瓶座という時代の正しい修行なのでは? ということなのです。
頭の中をリセットし、PCのように初期化すべきが賢明でしょう。過去に学んだそれらに固執すると、それが色眼鏡となり(データに反応してそれらの概念を引き出してくるので)いつまで経っても真理は見えてきません。

 なぜなら「闇が支配していた時代に真理の説かれた書物など世に出るはずがない」と考える方が妥当だからです。過去そういったもすべて弾圧された事実はみなさんご存知でしょう。ましてネットがない時代に、一般に流布される内容など、どう考えても真理でなかったもの、深読みすれば騙す為と考える方が納得がいきます。


 まぁ大体そうですが、私の概念を後押しするような記事が、私の記事に関係ないところからグットタイミングでアップされるというのは、基本的に私の記事が正しいという事なんですよ。人生ずっとそうでした(笑

 しかし、マスコミ情報を未だ信じる人にとっては、私の言ってるこの内容は理解できないでしょうね ^_^




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タラの芽団地

Author:タラの芽団地
タオイスト
ベジタリアン
合氣道々場主

猫は左が紫苑、右が八雲。

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